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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聡のために開設された寺で、
推古天皇の26年(618)に
大窪山の号を賜り、天智天皇の8年(669)に
西教寺の号を下賜されたと
伝えられている。
寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧都が念仏道場とした。 その後、比叡山で修行された真盛上人が文明18年(1486)入山し 普段念仏の根本道場として 西教時を
再考された。
明治11年(1878)明治政府によって別派独立が公許、"天台宗真盛派”の本山となった。
(案内板抜粋) |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
西教寺の総門(坂本城遺構)
高さ6.4メートル
幅 5.6メートル
この総門は 天正年間に坂本城主明智光秀が坂本城門を移築したと伝えられている
城門で、 昭和59年老朽化が進み修理が加えられたが、
ガたちはそのままの姿で復元したものである
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
宋祖大師殿
天台真盛宗、宋祖円戒国師慈摂大師真盛上人のお木像をお祭りしているお堂 |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
西教寺本堂
重要文化財本道は 桁行7間、梁間6間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物で、正面には
3間の向拝をつけています。
棟札によると、元亀2年
(1671)の織田信長の
比叡山焼き討ちによる本堂焼失後天正2年(1574)に本堂の再興棟上が行われたこと
がわかります。
その後享保3年(1717)に
第二十世の真際上人が再建に乗り出し門末檀徒から
浄財を集め、元文4年(1739)に落成したのが現在の
本堂です。
(案内板抜粋) |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
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坂本・西教寺・鐘楼
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |
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坂本・西教寺・
大本坊
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ
大本坊 (昭和33年)
元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちによって西行事が全焼、本堂・上室・鐘楼・僧廚等が焼失した。
坂本城主となった明智光秀公が、西教寺を菩提樹にしようと
して、復興には特に心を用い 大壇越となって、坂本城の
陣屋を寄進して再建した。
昭和33年に大本坊を改築の際、”天正年中明公所造之古木”と彫った古材が屋根裏から
出てきた。
明智公と妻熈子夫人の御木像が安置されている現大本坊は、昭和33年に完成されたものである。 |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |
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坂本・西教寺
撮影 07/04/27
カメラ オリンパス SP-550UZ |