琵琶湖大橋と駅の道           びわ湖大橋の地図

 

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びわ湖大橋・展望所から

 

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 びわ湖大橋・展望所から

  撮影日 07/02/25
 カメラ  キャノンA540


 

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 びわ湖大橋・堅田側から

  撮影日 07/02/25
 カメラ  キャノンA540

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琵琶湖大橋展望所から

 撮影日 06/08/20
 カメラ  パナソニック TZ1

 

びわ湖大橋完成記念碑   びわ湖大橋完成記念碑

 撮影日 07/03/20
 カメラ  オリンパス SP-550UZ

 びわ湖大橋駅の道の
 橋のすぐ横にあります。
 碑文はこの一番上にあります。

 長さが1450m 
 高さ26m 
 

琵琶湖大橋開通記念碑文  

日本最大の琵琶湖は東の富士とともに大自然が生んだ滋賀県の偉大な遺産といえる。
県民はこの恵まれた琵琶湖とともに生きてきた。 また昔から豊富な史実と数々の美しい物語や伝説にいろどれれ 広く人々のあこがれのまととして 愛され 親しまれてきた。 遠い昔人々は琵琶湖を 船によって
 往来し 都と北陸 さらには 東国と西国を この琵琶湖によって結び 産業経済を つないできた。 しかし最近における道路交通網の発達は この琵琶湖がかえって障害となり 本県の産業経済文化の上に 大きな障害をきたしている現状にあった。 そこでこの琵琶湖に橋を架け 一挙に対岸に渡れるとすれば 本県の
湖東湖西両地域の格差を 解消し県も大きく発展飛躍する。 これは両地域に住む人々の願いであった。 
 県はこれらの要請に応え 昭和三十五年琵琶湖の最狭搾部の堅田町と守山町とを結び 間に橋を架けることとし 諸般の調査計画を進めた。 本橋の型式は琵琶湖の定期遊覧船のえい航を容易にし 風景を損なわず 架橋位置の背景に合致し 優美でかつ後期が短く低廉であることを 主眼に設計を取り纏め 昭和三十七年十一月 架設中央水域に京阪丸を進めて その船上で起工式を挙げ 工事に着手した。 厳寒の季節 肌をつんざく湖上での実施測量 地質調査 工事遂行など次々と進められた。近代建築技術の粋を駆使して日本最大の大口径鋼管基礎杭の採用 あるいは 日本最長の三径間連続鋼床採用など学術上極めて意義のある長大橋の施工に 昼夜の別なくあたること 一年十一ヶ月 幸い気象条件にも比較的恵まれ 関係機関 関係者の絶大なる協力と支援を得て ここに予定通り完成開通するに至ったものである。 この橋の架設が 今後滋賀県のみならず近畿ひいては日本の産業文化観光の発展に 寄与するならば その意義はさらに大きいものであると考える。 ここにその開通に際して碑を建て経緯を述べ記念とする。

        昭和三十九年九月吉辰 
            滋賀県知事 谷口久次郎
 参考
    ウィキペディアびわ湖大橋  

  琵琶湖大橋の堅田側の取り付けにこの記念碑がある。実はこれを読んで驚いた。
   ひとつは昭和39年というのは私が 大学を卒業した年であること.。もうひとつはこの谷口久次郎という知事の名前を
   見つけたことである。 谷口知事と私の父は友人であり、知事の書が実家にかけられていたのを思い出した。
   今まで知らなかったが 谷口知事は俳人でも あることが 淡海の芭蕉句碑 浮御堂のくだりに出ているので
   懐かしく思った。

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